門間由佳アートエンジニアリングブログ
アートのこと、最近の感じたこと、読んだ本等、しばらく自由に書き込んでいきます
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2006-10-12
スタイルと発見
昨日、新庄選手が活躍したニュースを家事をしながら聞いた。
新庄選手は「自分らしさ」を自覚して行動している。ニュースを見ていつも感じる。
「スタイル」がはやっている。
『「自分らしい」結婚式にお金をかける。
ファッションのなかに「自分らしさ」を演出する。』
広告の裏側から考えると、世間にあふれている「自分らしい」という言葉はとてもうさんくさい。
第一、広告の通りにしたら、みんな似通った「自分らしさ」になる。(それが企業の戦略として必要なのだが)
一方、新庄選手、松井秀樹選手、イチロー選手を見比べると、まったく似たところがなくておもしろい。
松井選手がコスプレをするところは想像できないし、イチロー選手はホームランバッターを目指さない。
新庄選手は「記録はイチローが残し、自分は記憶を残す」といった意味のコメントを大リーグ時代に述べている。
彼らに共通しているのは、自分をよく知っていることだ。
そして、「独り」の時間のなかで自分に合ったものを「発見する力」だ。
私など、運動の不得意で野球は遠い世界だ。でも、ヒントは見出せる。
例えば、「ひとより甘い玉子焼きが好きだ」といった小さなことであっても、「自分らしさ」対する発見がある、と考えてみる。
客観的な「おいしい」ということと、「自分がこれがより好きだ」ということは矛盾しない。
「野球選手」に新庄選手も松井選手もイチロー選手も入るように。
2006-10-05
夢は忍耐のなかに
「明るい夢」とか「虹を追って」という言葉は、
汗や涙や失敗の山と共にある。
「夢は虹の彼方に」といった言葉を創った人たちは、それを知っていた。
「オーバー・ザ・レインボー」を楽しく歌いながら少女ドロシーはブリキのきこりや臆病なライオンやかかしといっしょに様々なトラブルを潜り抜けていった。
即席でなんでも食べれる、すぐ電車や飛行機で目的地へいける、買いたいものはローンで買うという環境にいると夢にもすぐたどりつく気がする。
しかし、夢はイメージだ。
即席めんは何年もかかって作り出された。電車も飛行機も長い時間を経てつくられた人類のめぐみだ。
夢は時間がかかるし、その間自分も周りも変化していく。
いやなことや疲れでどうでもいいやと思う日もある。
ひょっとして自分が死ぬのがさきかどうかさえわからない。
でも、ふとふりかえれば昔の人の感覚に学ぶことができる。
江戸時代、電車や飛行機はない。やじさん、きたさんたちは長い旅を楽しんだ。なかなか目的地に着かない。
でも、旅自体が楽しい。
失敗や限界を踏みしめながら、なお様々な夢をはぐくむ。人間にはその力がある。
2006-09-27
元気と試行錯誤
新たな物事を進めるには、試行錯誤が必要だ。そして、それには元気が必要だ。
今、「成功」「勝ち組」という言葉が飛び交う。
ある意味、生きていることが毎日の成功だ。
そして、職人仕事につく、ボランティアに燃える、出世競争を勝ち抜く・・・、どんな楽しさを追求したいかなど、それぞれの成功がさらに積み重なっていく。
「一生懸命楽しくあれこれやってたら、いつの間にか会社がでっかくなっちゃったね」
といった内容の言葉を、ホンダの元技術者が心底うれしそうにいっていたのが印象的だった。
大分前になるが、NHKのプロジェクトXでホンダを取り上げた時のものだ。
こんなにうれしそうな顔で会社人生が楽しかったといえるひとは幸せだなぁ、と鮮明に記憶に残っている。
そのひとは、自動車メーカー、ホンダが町工場から世界のホンダになっていく時代に技術を開発しつづけた技術者だ。きっと、苦労も数え切れないくらいあっただろう。
しかし、ぐんぐん大きくなる会社全体の活気が社員を元気にしていたことが推測される。
その背後には、仕事に取り組むための明確な指針があった。明確な指針があってもつまずくことはあるが、急成長を遂げ続ける裏には必ず明確な指針が存在する。
ホンダは本田と藤沢の2氏により大きくなった会社だが、創業当時、「議論して電車の終点までいってしまった」という逸話があるくらい経営の方向性について語り合っている。
「新婚夫婦より長く一緒に居る」ともいわれたらしい。
試行錯誤にめげないのも、指針があるからだ。
元気と試行錯誤の裏には明確な指針がある。
2006-09-25
ソローより
われわれはすべて彫刻家であり画家であって、
その材料はわれわれ自身の肉と血と骨である。(より高い法則)
私は各人が十分心を用いて彼の父のでもなく母のでもなく隣人のでもなく、
彼自身の道を見出しそれを踏んでいってもらいたいのだ。(経済)
引用:『森の生活 ウォールデン』ソロー著 神吉三郎訳 岩波文庫
2006-09-13
編集と時間
先日、家人がイラク戦争のドキュメンタリー映画を買ってきた。
イラクの淡々とした日常生活と、突然起こる戦火。例えば、学校に
いっていた弟が帰宅途中で誤認逮捕されてもどってこない。家にいきなり爆弾が落ちてくる。
しかし、日常が急変してしまうなかでも、日々はやはり淡々と過ぎていく。
私は、M氏から戦争の話を何度となくきいた。
戦争では、異常な事態が当たり前に感じられるようになってしまうことがとても恐ろしい。
話を聞いてそう感じていたことを、あらためて映画をみて感じた。
見終わったあと、家人と話しいろいろな視点で見ることのできる映画であると感じた。
今のメディアの主流であるエンターテイメント性は低い。あまりに劇的で無さ過ぎる。
娯楽としておもしろくひきつけられる映画ではない。
現代アートの視点からいうと、アンディ・ウォーホールが試みた実験映画(同じような場面と
淡々と撮り続ける)に似ているともいえる。
今テレビで流れる映像は、例えドキュメンタリーでもエンターテイメント性が高く編集されている。
実は、派手(劇的)な部分の何倍も地味(日常的)な部分の時間が長いのだ。そんな当たり前のことを見ているあいだに感じるドキュメンタリーだった。