門間由佳アートエンジニアリングブログ
アートのこと、最近の感じたこと、読んだ本等、しばらく自由に書き込んでいきます
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2007-03-01
対話のちから
教師の資質のひとつは頑張って失敗して人が落ち込んでいるときを見抜けること。
そのときに批評家として批判するのが一般的。
そのとき人を育てるは、寄り添って叱咤するか、寄り添って頑張りを評価する。
不思議とその言動はその人自身を批判せず、その行動だけを客観的にその人の役に立つように伝える。
それはなかなかできることではない。
しかし、それをタイミングよく与えられたひとは一生使える宝物として大事に心にしまっておく。
ひととひととの対話には不思議な力がある。
2007-02-02
何が起きるかわからないのだから 2
楽しみをたくさん見つける工夫をする。
なんでもいい。
自分がこんなことまで楽しめるのか!と発見することのおもしろさがわかると、テレビやゲームのおもしろさが色褪せるくらいになってくる。
M氏と対話しはじめたとき、あまりに年齢、環境が違うひとから取材する難しさに悩んだ。
とにかく取材しにいったとき、自分と何が違うのだろうと考えながら時間を過ごした。
すると、楽しむ声の調子に気がついた。
「うまい!」という紅茶を飲んだときの一言。
「今日は天気が良くて素晴らしいね」と私に声をかけるときの声の深い柔らかさ。
何気ない一つ一つを味わうこと。(もちろん「疲れたなぁ」と率直に感じることも含めて)
これは、いろんな状況を乗り越えていくキーのひとつではないか?
そう思った私は「M氏ならどうかんじるだろう?」と想像することが増えた時期がある。
そして、楽しみを増やすことがおもしろいことを発見した。
とても小さなことでもとにかくおもしろい。
例えば、わたしはココアが好きなのを再発見した。
それも、カカオの風味が豊かなココア。
すると、ちょっとしたときにココアを飲むことで何度も幸せな気分になれる。
人生の味わいはどんな小さなところにも転がっている。
2006-11-03
判断と行動
ビジネスではない。しかし、書物を「着払いで送ってください」と頼んだら、次の日に届いていた。
送ってくれたのはM氏。84才の大先輩だ。
いつも行動が早い。仕事でない場面でも行動が早いのは、考える必要が無いからと思われる。
価値基準が確立していればすぐ判断して行動できる。結論がみえれば、人は自然に動くことができるからだ。
年を重ねるに従って、自分の価値観をひとつひとつ整理する。
そしたら、若いときより残される時間はへるが、行動に使える時間は凝縮されて濃くなる。
それを肌で感じる。
2006-10-24
温かさ
腹の底から歯噛みするような思いを何度もしたひとは、やさしさと厳しさをよく知っている。
生きているあいだに、自分の力の及ばないことに何度も悔しい思いをする。
そこには自分に対する可能性が残されている。
M氏に抑留体験を聞いていると、肉体的にも精神的にもぎりぎりの場面が何度も語られる。
目の前で、たとえ手を差し伸べても救うことができず、人が死んでいく。
差し伸べたくても、自分が殺されるから、見殺しにするしかない。
何度となくそんな体験をすれば、人の心は荒れていく。
しかし、それでも力の及ぶ範囲の中で、互いの温かさに触れ合えるとき、M氏は「人を救うことで自分が救われた」という。
飢えの中で小さな野バラの実を二人で分け合って味わう。
ちょっとした冗談で相手の顔に笑顔が浮かぶ。
そういったものが「生きるエネルギーを与えてくれた」という。
自分の小さな力を信じる。それが人の心を支える。
そういった小さな喜びの力を信じるか信じないか。
それを選ぶのは自分自身だ。
2006-08-24
リスクと可能性
「信じて希望をもたなければ、心を開くことはできない。でも、それはだましたり、利用されたりする相手かもしれない。それでも、可能性にかけることがなければ、暗い絶望しか味わえない。」
シベリアの極限状態での人間関係を話すうちに語られた言葉だ。
善意のようなやさしい言葉が、だましておとしいれるために使われる。
または、純粋なこころの共感から助け合う。
または、ただ奪い合う。
そんなことが一日のなかで同時に起こってくる。または、何度も繰り返し経験する。
それでも、可能性にかけて行動することが自分と周囲を変えることを経験したとM氏はいう。
やみくもに可能性にかけるのではいくら命があっても足りない。
自分の力の範囲もよく知る必要がある。
同時に、損得から出発しない行動が、どれほど自他を元気づけるか実感して、機会に恵まれたら行動に移す勇気が必要だ。
人生の達人に必要なひとつはバランス感覚だ。
それは、自転車に乗るのを覚えるのと一緒で転びながら覚えていくものなのだと話を聞いていて感じた。
必要なことは、上手な転び方と起き上がり方を学ぶことだ。