門間由佳アートエンジニアリングブログ
アートのこと、最近の感じたこと、読んだ本等、しばらく自由に書き込んでいきます

2007-02-15

楽しみの自由



モノを買うことは楽しい。

バレンタインのチョコレートなど、普段買わないおいしそうなチョコレートが楽しめる。(とてもおいしかった!)誰かから受け取る楽しさだ。


同時にモノをつくることも楽しい。

つくることは「これだ!」と思いつくことだったり心のそこから湧き出るうきうき感だったりする。自分から発する楽しさだ。


両方の楽しさを行き来できる自由さが、楽しさを大きく拡げる。


10:34:14 - monmi - TrackBacks

2006-10-27

アートをみる

観たり聞いたり触れたりしたとき、何を自分が感じるか。

自分の感覚に素直に耳を傾ければ自分の美意識が見えてくる。

アートや芸術をそういう反響板としてとらえることができる。

ものに好き嫌いがあるのは当然のことなので、いくら偉い作家が作ったものでも、気に食わないものは気に食わない。

それでいい。

近所の小学生が作ったものでも見た瞬間に夢中になってどきどきしてしまうものは、自分の心と共鳴するからだ。

自然にどきどきできる出会いは素晴らしい。









07:00:40 - monmi - TrackBacks

2006-10-11

イメージと広告

人は、さまざまな影響の中で生きる。

それは当たり前だし、必要なことだ。

ただ、現代の日本では、企業が知恵を絞って消費者の誘惑合戦をしている中で暮らすことになる。

ネット、テレビ、ラジオも電話も本も雑誌もなく、仙人のように山奥で暮らさない限り、必ず影響はある。


「車はまず、モーターショーの会場に現れ、ほぼ同時に広告の中に現れる。

そして次に販売店の店頭に並ぶ。

モーターショーの会場で実物に触れる人間の数は、広告を見る人間の数にくらべると桁違いに少ない。

「広く告げる」のは広告と広告的記事の役目だ。

たいていのひとは広告で新車のイメージを見る。

広告的記事で新車の仕様等を知る。

そして販売店に走る。

買い手は、その一連の過程で「スゲー」「欲しー」を繰り返しながら、自分の自己表現としての車を選び、ローンを組んだりして買うのだ。

そして頭にこびりついた「新車」は消え、代りに実物がガレージに現れる。

すべてが<満足仮説>のとおりに進行していく。

広告はその流れを巧につくりだす。」

そんなの知ってるよ、と思っても、相手はプロである。

まして、イメージの世界は理性をこえる力がある。

「(略)幕張メッセで開かれたその東京モーターショーには、ハイブリットカーはもちろん、電気自動車、燃料電池車から、未来を目指すシティコミューターまで、地球環境への負荷を減らそうという車がどっと出品されていた。

ところがである。

とくに若い消費者たちは、そうした車に目もくれず、スポーツワゴンや新型RVなどの「カッコイイ車」に殺到したという。」

今度は、広告に<環境>と刷り込まれて環境イメージの車に殺到する日がくるかもしれない。

ヒトラーもイメージの世界を巧に使っていた。

いかにイメージの力が大きいか広告の世界から読み解くことは、身近でおもしろい。


上記の引用は、広告のプロが一般人向けに書いた広告の裏側だ。

引用:「現代広告の読み方」 佐野山 寛太著 文藝春秋 文春新書
09:47:56 - monmi - TrackBacks

2006-09-29

メディアとアート

現代では、メディアがあるから社会が機能する。

私は、昨日電車に乗らなかったが、今日、千葉までいく。

京葉線が昨日8時間に渡って不通となり、今もダイヤが乱れている。

それをニュースで知っている。そうでなければ、近くにいって初めて混乱に気づくことになる。

メディアは情報の共有に役立っている。


同時に、宣伝の道具でもある。

おいしい食べもの、きれいな風景、そういったものに刺戟されて楽しむこともできる。


ただ、メディアは切り取られた世界だ。

受け手の人間が、切り取られたものをつなぎ合わせてうまく使う必要がある。


自分にとっての美しいモザイクを作るように、切り取られたメディアの世界をつなぎ合わせる。

メディアと向き合うことで、人はアーティストになる。




08:22:29 - monmi - TrackBacks

2006-08-29

試行錯誤と熟成

コンセプトは時間をかけて実現へ向かう。

「着物業界に革命を起こす」そう日記に書き記して数年(たしか4~5年)、「革命」の方法を思いつく。それは、人々のタンスに眠っている着物をリサイクルで売ることだった。そして、起業する。
老舗の着物問屋の店主であったその人はその間、稼業を続けながら考え続けていたことになる。
(NHK27日の放映より)

27日、相模原で美術館設立を考える会で、世田谷区美術館の学芸員、高橋氏が講演した。

「現在、世田谷美術館は400名の市民サポーターによって運営を支えられている。それは、何年も長い年月をかけて、美術館が市民を必要としていることを発信しつづけたから。そして、愛される美術館であるように努力しつづけたから。」

世田谷区美術館では、閉館後絵を見るための空間をそのまま使って演劇や歌や踊りのワークショップを開いたり、市内の中高生に夏休み無料で美術館を解放したり、ユニークな企画をたくさん実行している。

高橋氏と講演後個人的に話す機会に恵まれた。

「コンセプトを明確にすることはなにより難しい。そして、時間がかかる。しかし、それぬきには魅力的な美術館経営は不可能だ。」

「いろんなアートの形がある今の時代、いろんな美術館があっていい。ただし、コンセプトのない中途半端な美術館は存在意義が薄い。」

様々な生き方のあるいまの時代、個人に置き換えて聞くことのできる言葉だ。


「こうだったらいいなぁ」はみな思いつきからはじまる。

それをもち続けてかつ、実行に移すのは時間がかかるし難しい。

しかし、魅力的な人やものはそういった試行錯誤の先に生まれてくる。

だから、短期的にあわてずに、試行錯誤しながら熟成させることだ。

熟成している間に、多くのことに気づくようになり、日々が豊かにおもしろくなる。

年をとるのが楽しみになる。
23:29:30 - monmi - TrackBacks