安心してこころを開ける場はひとをかろやかにする。
学生時代の友人達とたまに会うことができると、ただ生きててよかったね会えてよかったねと素直に思える。
そして会話しているだけで多くの気づきを与えてくれる。
会える回数は減っても自分の中で年輪のような重みが増すことにきづかされる。
そういった人間関係と対極にあるのが戦争や、戦争状態にある人間関係だ。
『戦争とは、敵をだます行為である』と孫子は語っている。それを浅野裕一氏は「戦争の本質は、いかなる伝統的形式とも倫理的美徳とも無縁な、ルールなきだまし合いにこそ存在する」と解説している。
人を思いやるような行為はすべて逆手に利用されるか否定される。だから「戦争は人間や人間性を破壊する」と言われる。
日々流れてくるニュースなどから、戦争の思想を鋭くとらえた孫子の言葉は全く古びないことを感じる。
参考:『孫子』浅野裕一著 講談社学術文庫
コマーシャルやふとした電話で「あれ、何をやっていたんだっけ?」と自分の活動が中断される。
自分の思考の流れもいっしょに中断する。そういったことを自覚して生きる時代だ。
古典や、何十年か前に書かれた本を読むと、今生きている時代を違う時間軸でながめることができる。
これはおもしろい。
「今日のメディアの非マス化は、目を見張るほど多様な役割モデルやライフ・スタイルを尺度として提供するようになった。
そのうえ新しいメディアは、完成したイメージをわれわれに寄越さず、イメージの断片や瞬間を示すだけである。
何種類かの一貫したモデルアイデンティティ(存在基)のなかから一つを選ぶのではなく、自分で断片をつなぎ合わせて「私」のモジュールをつくることが要求される。
この方が昔よりはるかに困難であり、現在、無数の人間が必死になってアイデンティティ(存在基)を模索しているのは、そのためである。」
と、未来学者のトフラーは1980年にすでに書いていた。
引用:「第三の波」アルビン・トフラー著 徳岡孝夫監訳 中公文庫)