門間由佳アートエンジニアリングブログ
アートのこと、最近の感じたこと、読んだ本等、しばらく自由に書き込んでいきます
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2005-11-08
自然のなかの人間
今の時代、普通にしていると、人間は自然の一部だった、
と思い出さなくてはいけない。
それくらい人工物に囲まれている。
『そういう現代人が、「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれても答えに詰まるのは当然のことかもしれません。
(略)
こういう問いには、現代人よりも昔のお坊さんのほうがよほど簡単に答えることができたはずなのです。
「そんなもの、殺したら二度と作れねえよ」と。
「蠅(ハエ)だってどういうわけかしらないけれど現にいるんだ。
それを無闇に壊したら取り返しがつかないでしょう」ということなのです。
人間を自然として考えてみる。
つまり、高度なシステムとして人間をとらえてみた場合、それに対しては畏怖の念を持つべきなのです。
それは結局、自分を尊重していることにもなるのですから。』
(引用:「死の壁」 養老孟司著 新潮新書)
人間を自然の一部としてとらえる見方のてがかりは東洋の書物に
たくさんある。
養老氏の本には東洋の本の引用もたくさんあるので、身近に親しんでいる様子がうかがえる。
2005-10-09
画像
画材:顔料、膠、墨、アクリルガッシュ、その他
サイズ:約10×5 作品部分
デザインと東洋哲学
岡倉覚三著の「茶の本」の中に、
「全体は常に部分を支配することができる」
という言葉がある。
それをデザイナー、深澤直人氏はデザインの分野でこう語っている。
『多様性を残すということはミニマリズムである。
ミニマリズムとはシンプルなかたちの静かなデザインの表現のことではない。
主たる機能を持ちつつ多様性をできるだけ残すことである。』
例えば、日本の金づち。
木のもつ部分は、ゴムの西洋式グリップより握りにくいかもしれない。
しかし、使いこむことによって手になじんでいく。
『最初に釘を軽くたたいて材木に差し込む時は、柄の先端に近いほうを軽く握ったほうがいい。
柄の握る位置をその状況によって何度も握り替えるのだ。
持ち替えるときにはゴムの滑り止めが邪魔になる。
多様性を持たせつつ、特定の機能を満足させることがミニマリズムの原理である。』
部分的な機能をもちつつ、全体としてすきまというか、余裕というか、
可能性を使う側に残す。
「茶の本」でいっているように「全体が部分を支配している」。
『自然は多様性の集合体である。
人間もまたその自然物の一部である。
機能は道具か人間のどちらか一方にあるのではなく相互の力が寄り合って溶けているのである。
道具側が人間の機能を助けすぎれば調和は破たんする』
深澤氏の言葉は強いコンセプトを感じて味わい深い。
深澤氏は、アメリカに渡ったあと、「茶の本」など日本の書物と
自分が出会った、そして繰りかえし、繰り返し、読み、考えたという。
(引用:「デザインの生態学」後藤武・佐々木正人・深澤直人著 東京書籍)
2005-10-04
底はぬけるもの
工夫はムダのようだけどもこのムダなくしては
底はぬけない。
(略)
私は花の姿を求めてああでもないこうでもないと工夫し
模索する。
しかし結局底がぬけなくては花の姿はあらわれてこない。
私はいつのまにか花をわすれてただ底をぬこうぬこうと思って
書くようになる。しかし、底はぬこうと思ってもなかなかぬけないのである。
底はぬけるものである。
(出典:「日々絶筆」井上有一著 平凡社ライブラリー)
井上氏は「老子」を若いころから愛読していた書家。
東洋哲学を自分の行動に適応して考えていたことが、
「底はぬくのでなく、ぬける」
という言葉から感じられる。
2005-10-03
画像アップしました
画材:墨、顔料、膠、アクリルガッシュ、その他
サイズ:F6
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まず、画像アップしました。