門間由佳アートエンジニアリングブログ
アートのこと、最近の感じたこと、読んだ本等、しばらく自由に書き込んでいきます
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2005-11-18
日本へ(ダモイ)2
画材:鉛筆、アクリルガッシュ
サイズ:約20×25
4年ぶりにM氏はようやく日本へ帰国することになった。
待ち望んできた帰国は突然やってきて、すっかり仲良くなった看護婦さんたちと別れの挨拶をする機会もなかった。
しかし、彼女達は、出発の時刻にM氏を探してやってきた。
「あるいは彼女らが来てくれるかもしれない、という一縷(いちる)の望みはあった、
・・・・・・・・・と思った途端(とたん)、大勢の見送りのソ連人の中からニーナさんとユーリヤの声が聞こえるではないか。
「ミヤモート、ドスベダーニア、
ドスベダーニア、ミヤモート」
(さようなら、さようなら)と。
わざわざお別れの握手をしに来てくれたのだ。
そして、彼女らの目に涙が虹のように光っているのが見えた
そのときの喜び、感動は、到底言葉でいいつくせるものではなかった。
昭和二十四年八月のある日、ブラゴエチェンスクを出発した列車は一路ナホトカへ向けて走り出した・
・・・・・・・・・・・・
わたしがコルホーズに行くときまったとき、私のコルホーズ行きを取り下げるべく病院長に嘆願してくれたという彼女らが、
交戦国の捕虜として、心ひそかに憎しみを抱いていたであろうにもかかわらず、
最後のお別れに、あの爽(さわ)やかな涙をもって見送りにきてくれたことは、
わたしにとっては生涯忘れられない感激であった。
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すでにナホトカの収容所には、シベリア各地からの帰国挺団がいくつも終結していた。
先着の挺団がナホトカの港を出港してゆく約半月ほどの期間を待って、九月十一日、いよいよわれわれの出港の番がきた。
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外洋に出た帰国船英彦丸のエンジンは快調だったが、二日目、三日目には日本本土を急襲した台風の影響で、
日本海が大荒れに荒れ、舷側にぶつかる波の音が吠え続けていた。
しかし、次の朝、船酔いの疲れから眼が醒めたときは、船は静止しているかのように静まり返っていた。
甲板に出てみると、船は鏡のような静かな舞鶴湾内を滑るように桟橋に向かっていた。
湾内の松林の下を、蛇の目傘をさして歩いている婦人の小さな姿が、一幅(いっぷく)の墨絵のように見えた。
しっとりと降っている小ぬか雨が、心にくいほどわたしの心を落ち着かせてくれた。
きれいだ!美しい!
やはり日本の自然は素晴らしかった。」
(「野バラの実に」最終章)
2005-11-17
日本へ(ダモイ)
画材:顔料、膠、アクリルガッシュ、その他
サイズ:SM(サムホール)
夏になりM氏は草刈り作業(コルホーズ)にかりだされることになった。
酷暑の中の激しい労働。
それでもいままでのシベリア奥地での労働にくらべれば楽なものだったという。
日本へ帰れるといわれ半年以上過ぎていた。
いったいいつまでこのままの生活が続くのか・・・。
しかし、ある日、ついに知らせがやってくる。
「わたしが洗濯ものを抱えて外へ出ると、一台のトラックが砂塵を上げて、こちらにやってくるのが見えた。
トラックの上では、二、三人の黒い影が何かを喚(わめ)いているけれど、聞きとりにくかった。
近づくほどに、「ダモイだ、ダモイだぞ!すぐ引き上げて来ーい!」
と叫んでいるではないか。
信じられないけれど、「こんどこそ信じたい」気持ちで一杯だった。
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続々と、作業場から引き上げてくる連中の、まっ黒に陽焼けした顔が、万面に笑みを湛(たた)え、
喜びを隠しきれない養子だったけれど、今まで何度も騙(だま)されてきたわれわれには有頂天になるようなことはなかった。
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全員を乗せたトラックはコルホーズの農場を一路炭坑の町へ向けて引き返すことになった。
久しぶりでにぎやかな町なかに入ってくるにつれ「こんどこそ間違いなく帰れそうだ」
という予感がしてきて、ニーナさんとユーリヤだけにはぜひ一目会っておきたいと思った。
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その日は、帰国挺団(ていだん)を編成するのに多忙を極めた・そして、その翌日も準備に追われ、病院へ抜け出す機会を失ってしまった。
ついに出発時刻が迫ってきた。
(「野バラの実に」より)
2005-11-16
手づくりのはな2
。」
画材:鉛筆
サイズ:約20×25
看護婦のニーナさんとすっかり仲良くなり、楽しい勤務が続くなか、M氏には気になる人がいた。
「しかし、薬剤師見習の十六歳の少女ユーリヤだけがいつも淋しげな顔をして
打ち解けた雰囲気に入れないのが気になってしようがなかった。
後刻「彼女の父親は、ソ満国境の戦闘で戦死した」のだということがわかった。
それ以来、日本人に対して憎悪の念をいだいているにちがいない彼女の心中が不憫でならなかった。
何かの折に元気を取りもどしてやれないものかと思いつつ、ある日、レントゲン室の戸棚の整理をしていたとき、
たまたま、ドイツ軍の紙製の代用包帯を発見した。
幼いころ、妹とお人形さんごっこをしたときに手にしたチヂミ紙を思い出した。
お人形さんをつくってやるわけにはゆかなかったけれど、早速、赤チンやレバノールで着色して、
カーネーションやチューリップの造花を作り。さりげなく彼女の部屋に飾ってやった。
それに気づいた彼女は余程お気に召したとみえて、病院中にふれ回り、
それ以来造花の注文が殺到するようになってしまった。
しかし、肝心なユーリヤの心の奥にひそむ父の仇(かたき)に対する憎しみが消えたかどうだかは、わからなかった
2005-11-13
手づくりの花1
身体をこわしたことがひとつの出会いを生んだ。
M氏は深い奥地にくらべ、いくらか楽な冬をこした。
しかし、三月に入ってから石灰工場で働いて石灰の粉により呼吸困難になってレントゲンをとることになる。
それがきっかけで、M氏が技術兵であったためレントゲン機械整備のためにレントゲン室勤務となった。
ここで看護婦さんたちと新たな交流がはじまった。
看護婦のニーナさんと。
「あるとき、何かの用事で彼女の部屋に入らなければならないことができた。
「モージノ(入ってもよろしいですか)」というと「パジャールスタ(どうぞ)」という黄色い声で返事が返ってきた。
おそるおそる入った彼女の砦は美しく飾られていた。
彼女が一人で、病院の壁新聞を作っているところだった。
帰りしなに「何かお手伝いすることはありませんか?」と聞くと、「この新聞を手伝ってほしい」というのである。
もちろん手伝うといっても「スチェナヤ、ガゼータ(壁新聞)」という題字と、
二、三ヵ所の空欄をうめるためのカットや、挿し絵を描く程度のことだったが、
できばえが気に入ったとみえて大喜びのゼスチャアを示してくれた。
それ以来、月二回の壁新聞の編集には必ず手伝ってくれという依頼をうけ。病院の教宣部専属の勤務のようになった。
あるとき、口やかましい病院長と、鬼婆のように恐れられていた看護婦長との二人のロマンスをマンガで皮肉ってくれ、
という特別注文に応じたところ、ヤンヤの喝采(かっさい)を受けた。
それ以来、病院中から大勢のロスケが暇を見つけては集まってくるようになってしまった。」
(「野バラの実に」より)
2005-11-12
あしどめ
材料:顔料、膠、アクリルガッシュ、その他
サイズ:約20×30 100号部分
機関車がはしる。
自ら整備し、レールをひいた線路だ。
「できたばかりの未整備の線路上を徐行している機関車から吐き出される火の粉が、
流れるようにして密林の奥深くに吸い込まれていくのをじっと見ていると、
原始林が火を食う巨大な生きもののように思えてならなかった。」
1日、2日とシベリアの奥地から進んでくる。
都会が、そして日本への道が一歩一歩近づいてくる。
しかし、ここでどんでん返しが待っていた。
「貨車の進行が、再びゆるやかになり、停車する回数も多くなってきた。
その都度、通訳と女のドクトルが貨車の中を見回りにきては「下痢、アリマセン?」としつこく聞いてくるのが気になった。
そのうちに衛生係の伍長が「この挺団(ていだん)から赤痢(せきり)患者が出たので、ナホトカへ直行できないかもしれない」と、いやなニュースを持ち込んできた。
次には「今年は日本からの迎えの船が来なくなったので、来春になって帰国が再開されるまで、十九地区(ライチハ地区)で待機することになった」というのである。
なかなか手のこんだ芝居を考えたものだ。
しょげ返ったわれわれは、もうため息すら出なかった。」
(「野バラの実に」より)
M氏はシベリアで四度目の正月をむかえることになる