門間由佳アートエンジニアリングブログ
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解釈と事実の切り分け
もともと「武士道」は、宗教なし、道徳教育なし、という外国人の言葉 への反発から書かれた。
(初出、明治32年アメリカ)
千年を超える「武士道」という精神文化、哲学を、
西洋の精神文化、哲学と照らし合わせて記述し、
世界に発信しようと書かれた名著だ。
しかし、戦争当時、「武士道」ふくめ、
東洋哲学思想が利用されていた。
神道も「国家神道」として利用された。
これはとても悲しい。
M氏と話をしていて、当時、
「凧揚げだろうが、歌だろうがすべて戦争に利用された」
ということがいくつか話しにのぼった。
さらにとても悲しい。
M氏は「われわれは実に巧妙にいつのまにか戦争にひっぱりこまれた」という。
素材のおおもとはなにであり、それに付随しているものが何かを考え、判断する。
これがなかなか難しい。
例えば、「改革」、「新しい」というとイメージでよく見える。
流行。はやっているから自然に採り入れる。
または、「かっこいい」で、武士道がもてはやされる。
んん、その根底の意味はなんなのか??
それをとらえる感覚をもっていないと、
今の時代でも、扱われる対象が「思想」か「税制」か「流行」か問わず、
「自分で考えているつもりで実はなにも考えていない」(!!)
という事態におちいる。
M氏と話して感じたことのひとつは、
戦前と違って情報統制はなくても、
今の時代情報操作は存在することの自覚の大切さ。
すべてに自覚できる感性をもつことは難しいとしても、
常に危機感をもっている必要がある。
コメント
私が思い描く「武士道」と違う「深い武士道」のように思えるようになりました。
kuraさんのおすすめで、この文面を書くことができました、ありがとうございます!
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